モノの所有について思うこと

モノの所有について思うこと

わたしは今月服を一着も買っていません。もう買わないと決めたんです!!!

スーツケース一つでニューヨークに来て、シカゴに引っ越すタイミングで小さいスーツケース一つ分の荷物が増えました。(このスーツケースはスーツケースinスーツケースで日本から持ってきたもの。)日本にも小さい段ボール一つ分の荷物を送り返しました。

たった10週間でこれです。ニューヨークは人の物欲を刺激しまくる街なので、セーブするのが大変でした。。

シカゴに来てからは、アメリカ滞在も残り3ヶ月程になったので、意識してモノを買わないようにしてきました。帰りの荷物を増やしたくないからです。

思えば、普通に生活していて、ここまでモノを持たないように意識するようになったのも、留学してからです。この1年はフィンランドで6ヶ月、日本で1ヶ月、ニューヨークで2ヶ月、シカゴで3ヶ月と世界各地を転々としてきましたので、どこに住んでも一時の家。部屋を飾り立てて自分の空間にしたい欲求はあるものの、あと○ヶ月だもんなあ。と思うと写真を貼る程度が限界でした。結果、監獄のようだと言われる部屋が出来上がったのですが。それでも充分部屋に対して思い入れはあるし、今ではシカゴでの寮も立派な「自分の部屋」です。

フィンランドに留学するまで、わたしは生まれてこのかたずーーーっと実家暮らしでした。高校も大学も仙台。小学3年生のころに自分の部屋をもらって以来、モノは溜まりに溜まって、大変ごちゃごちゃした部屋でずっと暮らしてきました。まあ、自分の部屋とは言っても、あまりにきたないので寝るための場所という感じでしたが。勉強机もあるのにきたないからリビングで勉強してたし。。

それが、留学をきっかけに持ち物を本当に必要なものだけに絞り、部屋もきれいに保つことができるようになりました。そしてあろうことか、シンプルに、少ない荷物とともに生きることが美学、という感覚を覚えたのです。奇跡だ。

そう言う意味では、この遊牧民みたいな生活もなかなか良いものです。常に荷物はスーツケース1個(+小1個)におさえて、余計なものは持たない。あれば便利なものはいくらでもあるけど、無くたって死ぬわけじゃあるまいし。シェアバイクを使うことで自転車さえも所有しないから、余計な維持費もかからない。

逆に、何かを買うときは、本当に気に入ったものに少しくらい高いお金をはらってもいいかな、というふうに思うようになりました。類似品が複数メーカーから出ていたら、自分が本当に気に入って、使うたびににやにやしてしまう方を、長く使えそうな方を選ぶようになりました。自分のお気に入りに囲まれて暮らすのは幸せです。ふふ。

なーんてことを、「シェア—<共有>からビジネスを生み出す新戦略」を読みながら思いました。「持てるもの以上の暮らしを促す社会」にはわたしも疑問を感じます。モノを沢山持ってたら幸せかといったら、決してそんなことは無いし、フィンランドで暮らし始めたときは、「日本にあってフィンランドに無いもの」ばかりが気になって不便だなあなんて思っていたけど、実際無くても生活できるものばっかりだと気づいた。日本は便利すぎる。細やかな気遣いとか、クオリティを求める精神とか大事だけどね。日本のいいところでもあるんだけど。でももっとシンプルでもいいんじゃないかなあと思うのです。

日本でいうと、東日本大震災後、幸せの定義って大きくかわったんじゃないかとわたしは思っています。

必死に働いてたくさんのものを手に入れても、常によりよいもの、より大きいもの、より早いものが存在する限り、いつまでも満たされることがない

という「快楽の踏み車」について本の中で触れられていましたが、物質的な豊かさでは心は満たされないし、そんな快楽一時的なもので、失うのも一瞬。モノは簡単になくなる。津波の爪痕を見て思い知りました。本当にあっけないもんだよ。

行きていく上でモノを買う、消費するということはやめられないけれど、できる限り必要最低限に抑えたいと思う。「所有」しなくても良いものは「共有」する。所有することで生まれてくる責任もある。それから解放されるだけで生まれる心の余裕もある。モノを欲しいという欲求はなかなか強いもので、それに逆らうのは難しいけれど、抗いたいとどこかで思っている人は絶対いる、わたしだけじゃないはず。逆にビジネスの側から考えると、ただモノを作りまくって売りまくるより、シェアして身軽に生きたいという人たちのニーズをくみとるのもありなんじゃないかな。それで儲かる仕組みを作れれば、大量生産大量消費に対抗することだってできるんじゃないでしょうか。甘いですかね。

以上、また一つ、紙コップを消費しながら考えました。とりあえずおいしくコーヒーが飲めるタンブラーに出会わない限りわたしは紙コップを消費し続けるんでしょうけど。なんて無責任野郎だ。