ものを大事に使いたい人にやさしくない世の中なんて

ものを大事に使いたい人にやさしくない世の中なんて

最近、もやもやしていることがある。

なんだか、ものを直して使い続けたいという人にやさしくない世の中だよなあ、と。

少し前に、お気に入りの時計が壊れてしまった。電池交換してから1年も経っていないのに、針が進まなくなった。電池が切れたのかな、と思ってデパートの中の時計屋さんに持って行ったら、これは電池ではなくて、分解清掃しないといけないと言われた。それならお願いしようかな、と思ったら、料金が1万7千円だという。しかもここでは直せなくて、修理センターに送って数週間かかる。電池交換でその日のうちに数千円だろう、と思って持ち込んので、これには面食らった。確かに精密機器だし、特殊技術がいるし、まあ、仕方がないのか。でも、他のお店だったらもう少し違う対応をしてくれるかもしれない、ということでセカンドオピニオンを得るために別の店へ。

お次は東京の家の近くの時計屋さん。観てもらうと、やはり電池ではなさそう。良い電池が入ってますよ、と。分解清掃もできるけど、これは、新しいの買ったほうがいいですね、それほど高いものでもないですし、と。

なんですって。

お気に入りの時計だから、直して使いたくて相談しているのに、新しいのを買え、と。

その言い方も相まっていらっとしてしまったが、まあ確かに新品が手に入るのなら買ったほうがいいのかもしれない。親切心から言ってくれているのかもしれない。でも、でも、お気に入りの時計だから、これがいいから持ち込んでいるのに、ずいぶん冷たいなあと正直思ってしまった。

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この時計は、大学生になって塾講師を始めた年に、イギリスに短期留学に行った帰りの飛行機で一目惚れして買ったものだ。少しでもきちんとした大人に見えるように、と背伸びして買ったもの。(バイト先の塾では、学生であることはできるだけ隠さなければいけなかったし、保護者にも信頼してもらうためには、大人に見えないと、と思っていた)デンマークのブランドでデザインも気に入っている。文字盤のガラスには傷もついてしまっているし、バンドはドアに引っ掛けて少し変形もしてしまっているけれど、もう4年も一緒にすごして、すっかりわたしの左手首に馴染んだ相棒。

お金を出しても買えない愛着のあるもの。思い出のあるもの。大事に使った時間自体が良い味になって、同じものはもう作れないし、売ってもいない。そういうものも中にはあるのに、買ったほうが安い、買ったほうがはやい、買えばいいじゃん、で済ませるのはどうなのか。

確かに買ったほうが安いし、金銭的余裕がないから、本当は使い続けたいけれど仕方なく新しいものを買う、という妥協も世の中たくさんあるんだろうな。あまり目には見えないけれど。

ものを作って売る方からしてみれば、必要不必要にかかわらず、新しいものはどんどん買って欲しいわけで。もうモノが十分行き渡っている現代の日本では、一つを直しながら長く使うというサイクルは、好まれないのもわかる。

でも、お気に入りのものとは長くつきあいたいし、理由があって選んだものや、選んだ結果使い続ける理由が生まれたものたちは、少しでも長く使い続けるのがしあわせってこともあるのでは、いや、あるだろう、とわたしは考える。

そして、こういう考え方は、決して新しい突飛なアイディアでも、わたし一人が考えているオリジナルなことでもないと思う。昔から布がやぶければ当て布をし、ボタンが取れれば縫い付け、刃がこぼれれば砥石で研いできたんじゃないか。若い人たちだって、大量生産、大量消費のものには興味も薄れてきて、ストーリーのあるものを求めている。アフターサービスが大事だとビジネス書が書いている。リユース、リサイクルと環境のためにも叫ばれている。

そういうものとの付き合い方がいいな、と思っている人たちが、妥協で、諦めて、安い替わりのものを買わなくても済むようにしたいな。大事なものを直したいと思っているひとが、その思いを大事にできるように。自分で直せなくても、直せる人にたどり着けるようにしたいな。もちろん、自分で直せるものは、自分で直せるように。

こんなことを、仕事終わりに本屋で考えていた。ちょっと、できることをやってみようと思う。

ひらめきをくれた本。

(最近kindleに大助かりしているとはいえ、本屋さんにはまた別の出会いがあるからやめられない。この本、とってもinspiringだったので、紙でしか売っていなかったけど買っちゃった。)

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