価値観をひもとく:自分が、今、ここで、やる意味

価値観をひもとく:自分が、今、ここで、やる意味

とりあえず3年、働いた」の記事にも書いたように、わたしは「自分にしかできないことをやる」「自分がやる意味を考える」という考えを大事にしている。

放っておいても誰かがやる、なんとかなることは誰かに任せておけばいい。自分の時間、労力は有限であり、本当に自分が役に立てることに使うべき。

こういう考えを、わたしは就職活動でも大事にしていたな、と思う。同業他社が沢山あったり、働き手からも人気の大企業だったり、そういうところははじめから選択肢にあがってこなかった。よく面接で、「例えばお茶を作ることはわたしのやりたいことではない。わたしがやらなくても数多ある、巨大な飲料メーカーが作ってくれるから」と言ったりしていた。

(※別にお茶じゃなくても良かったんですけど。お茶作ってる人を卑下しているわけではないです。お茶は毎日飲んでいるし、誰かが作ってくれているから飲めるんだけど、わたしがやらなくても、という考えの一つの例です。そして面接の際、そこにお茶があるから説明しやすかったから。お茶作ってくれている人、ありがとうございます。例として出したことゆるして!)

この関係のない写真は箸休め。松島の遊覧船。

こういう考えを持つようになったのは、大学生の時に遡る。わたしは被災地の大学生として、アメリカで半年間インターンをしながら東日本大震災とその復興、東北の今について伝える機会を得た。半年間ものあいだ、国のお金、つまり国民の税金のサポートを受けて、アメリカで暮らしていた。そのプロジェクトは(特に短期のプロジェクトは)税金の無駄遣いだと叩かれることもあった。一緒にアメリカで活動していた大学生たちは、本当に優秀で志のある、すばらしい若者たちだったけれど、実際、日本ではこのプロジェクトを叩く人たちもいて、テレビ番組まで作られたことも知った。インターンのあと、寮でほかのメンバーと集まってプレゼンの準備をする夜、その番組をみんなで観て、悲しい気持ちと、偏った番組構成への憤りももちろんあったが、「国の代表として送り出してもらっていることの責任」をみんなで改めて実感したものだった。

それからというもの、個人的にも「なんでわざわざわたしたち大学生を今アメリカへ送り出してくれたのか」「なぜわたしたちなのか」「何を期待されているのか、託されているのか」そういうことをよく考えた。その頃の自分には、世の中の役に立つスキル何もなかった。けれど、大学生なので時間はあったし、英語がしゃべれた。そして、何より、これから日本に帰って、復興の過程で生きていく、未来をつくるのはわたしたちなんだ、ということに気づいた。本当にきれいごとばっかりほざきやがって、と思われるかもしれないが、馬鹿正直にそういうことを思った。

アメリカで学んだことは、そのあとの5年間で既に役立っていることも沢山ある。そして何より、「自分が今ここでこれをやる意味」を意識して生きるようになったことは、自分の人生においてとっても大事なターニングポイントだ。

ほかの誰でもない自分に、ほかのいつでもなく今、ほかのどこでもなくこの場所でできることを考えること。それはどんな組織にいても、どんなプロジェクトをやっていても、もしくは、何をやるべきか岐路に立たされた時も、価値を発揮するため、役に立つために重要な考え方だと思う。

そして今、個人として大事にしてきたこの考えを、自分が進めるビジネスや、いっしょに働くチーム、事業にも適用できるんじゃないかと考えている。ブルー・オーシャン戦略とか、似たような考えを理論づけたものも既に世の中にはあるんだろうけれど、自分の経験から生まれ出た一つの発見として、大事に育てて生きたい。

高校生のときに買って、今もときめく古着のスカート。

こういう、自分が大事にしていること、考え、判断の軸になるようなことを、「律」と言ったりするらしい。今売り出し中の「働き方の哲学」という本にあった。

「自律」とは、みずからを方向づけること。そのために、「律」となる理念、信条、価値観を醸成し、それをもとにぶれない判断をする。

そういえば、出身高校の校訓が、「自主自律」だった。高校生の時には、自分で自分を律するのね〜はいはい、そうね〜くらいにしか考えていなかったこの言葉、今になって響く。

チームをまとめる立場になった今、「律」として大事にすることをチームで共有したり、リーダーとしての意志決定をもって示していきたい。「わたしたちだからできること」「わたしたちがやるべきこと」「わたしたちがやらないで、誰がやる」。

あの街に住むということ

あの街に住むということ

IMG_0167ふと、海外の知らない街に一定期間住みつくことって、その土地に親近感がわくというか、自分ごとになるという点で有意義なことだと思った。

本を読んでいても、映画を見ていても、ああ、あそこね、って地元の話されてるときみたいに絵を描けるのは良い。

全く知らない街を自分の脚で歩いてまわると、周りの景色が記憶にすりこまれるような気がする。イギリスでたった10日間だけ住んでいたアパートの周り、フィンランドでの家から学校までの道のり、アメリカはニュージャージーのアパートから駅までの道のり、すべて頭の中でストリートビューできる。

地図を何度も広げた街は、鳥の視点から街を思い出せる。ニューヨークの地下鉄は東西の移動が難しくて(南北に走っている路線の方が多かった)、毎回地図を開いて乗り換えを確認していた。だからマンハッタンとかブルックリンとか言われると、わたしの頭の中ではニューヨークの地図が思い浮かぶ。地区ごとの色や空気がなんとなく想像できる。

それが何なのだ、と思われるかもしれないが、これらの街に住む前とあとでは、その地名を与えられた時に連想できる範囲が全く違うのだ。具体的に想像できるし、自分ごととして受け止められる。

例えば今読んでいた本で、「アメリカでもニューヨークの中心地にはちゃんと生鮮食品を扱っているスーパーがあっても、ブルックリンまで行くと、そんなスーパーはない。」ということが書かれていた。(スーパー事情は実際そんなことも無いと思うが)これを読んだとき、ニューヨークの中心地からブルックリンまでの距離感や、そこに暮らす人々のキャラクターの違いなどを予備知識として持っていることで、この一文の理解がぐんと高まる。

また、この間観た映画ではエイリアンによって廃墟となった街が舞台だったのだが(題名は忘れた。エイリアンとの戦争で住めなくなった地球から人類が避難し、地球に残った2人だけがそこで警備しているという話)、その街はどう観てもニューヨークで、エンパイアステートビルの屋上展望台のシーンは何度も出てくるし、それだけでなく、ちらっと映る6番街あたりのCHASEという銀行のある通りに見覚えがあったり、天井の絵画と散らばる本からそこがニューヨーク市立図書館だとわかったり。もちろんそんなことは字幕に出てこないし、去年の自分だったら気にも留めないシーンだったろう。2ヶ月半ほぼ毎日その辺りをうろうろしていて見覚えのある景色になったから気づけたのだ。ニューヨークの土地に詳しくなることで、意外にも映画の楽しみ方が広がった。シカゴでもトランスフォーマー4のロケをしていたし、きっと映画を観たら見覚えのある建物が沢山みつかることだろう。

このように、映画や本などで取り上げられることの多い土地に住む経験は、映画や本の文脈を読む力になる。有名な街でなくても、その国の習慣や暮らしぶりを知ることはその後の人生をも豊かにしてくれる大切な経験になる。

なーんてことを思ったわけで、いろんな土地を半年くらいずつ転々としたいです。仙台でまだ歩いたことの無い道を歩いて記憶に刷り込むのもいいけどね。

以上、夜中の随想録でした。おやすみなさい。

NY Yankees

NY Yankees

こんばんは。今日はヤンキースの試合を見に行ってきました。

じゃーん。Yankee Stadiumで対シアトルマリナーズです。イチローの古巣。

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イチローかっこよかったー。クール。

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結果は2−3で負けちゃったけど、楽しかったからよし!

チケットはネットで20ドルでゲット。

一番上のブロックだったけど、全然問題なく見えました。

19時からのナイターなのに4回くらいまでは明るかったし、全然寒くなかった!

入場のときにペットボトルのジンジャエールさんが犠牲になった。

前に座っていた女性3人組は終始女子会のようで、試合は全然見ずにおしゃべり→ビール飲みまくる→自分たちの写真とりまくる の後、9回表で帰ってゆかれました。

実は、メジャーリーグどころか、スタジアムに野球観戦にいくのも人生初でした。

スクリーンに映る番組も面白くて、エンターテイメント性が高いなあと思いました。

あと小学校のときに習った歌、本当に球場で唄うんだなあ、という。

Peanuts も Cracker Jackも売ってたし。アメリカーン。

明日の授業が終わったら、ワシントンD.C.に初旅行に行ってきます。わくわく。おやすみなさい!