新発売のカメラにひとめぼれして、なぜか57年前に発売されたフィルムカメラを買った

新発売のカメラにひとめぼれして、なぜか57年前に発売されたフィルムカメラを買った

5年ぶりの「カメラ買いました」記事。(ちなみに2017年に買ったRICOH GR2は現役で使っています。5年ごとにカメラ買いたくなる波くるんかな)

今回は、フィルムカメラのお話。

きっかけは、2022年新作フィルムカメラへのひとめぼれ。

先日TwitterでKodakがハーフカメラを出すという情報を目にしまして。

Photo by retopro
https://retopro.co/pages/product-1

かーわいいーー!

レトロでシンプルな形、セージとかクリーミーな黄色とかの今時っぽいくすんだ色味。まず外観に惚れちゃいました。まだ発売前の予約注文だったのですが、発送はアメリカからだし送料がかかるな〜ということで、カメラ好きの妹にもリンク送りつけてみたりして。あわよくば一緒に買うことにならないかな〜なんて目論んでいたのですが、「すぐ使わなくなりそう」と一蹴され、少々冷静になり、再検討することに。

ハーフって?

ところで、ハーフカメラって、ご存知でしょうか。35mmフィルムを使って、35mmのカメラでは1枚の写真を写すところに、半分サイズの縦の写真を2枚写すことができるんです。36枚どりのフィルムを入れたら、72枚写真が撮れるってこと。

これ、わたしが高校生のときに使っていたDiana miniでも撮れたんですよね。(当時はトイカメラにハマっていた)ハーフとスクエアの2種類を切り替えながら使える楽しいカメラです。ちなみに、今回久しぶりに引っ張り出してきて遊んでみたけど、入ってたフィルムが古すぎて、現像出したら全部真っ黒だった。とほほ。多分10年くらい放置していたんだね。。

ハーフカメラで日常を記録したい

さて、フィルムのハーフカメラ欲しいぞスイッチが入ったきっかけはKodakの新しいカメラの「見た目」だったわけですが、「フィルムの価格が高騰するこの時代に、1コマに2枚の写真を焼き付けられるハーフフレームは合っている」という売り文句に絆され、ハーフで1本のフィルムをゆっくり使っていくイメージ、そして生まれたばかりの我が子の様子と、その日の生活や自分の様子を組み写真で記録していくプロジェクトのイメージが自分の中でむくむくと膨らんでいきました。(買う理由を挙げ始めたぞ。)

しかし、アメリカからの送料を含めると7千円を超えるので(今日本でも販売されているようですが、やはり7千円超えます)、そのくらい出したら、もっと良いレンズを載せた中古のフィルムカメラが買えるのでは?と、中古で買えるガラスレンズのハーフカメラを調べ始めました。

60年代のハーフカメラを調べる

そうして調べていくと、1960年代に発売されたOLYMPUS PENシリーズがハーフカメラであること(大学生の時にミラーレスのPEN miniを使っていたんだけど、その歴史は知らなかった!)、RICOHからはオートハーフというのが出ているとか、Canon demiというのもあるとか、色々とハーフカメラの選択肢がわかってきました。上述の、Dianaも60年代のカメラのリバイバルだったみたい。

このあたりのカメラはメルカリにも色々出ていました。整備済みのもので1万円超えるくらい、未確認故のジャンク扱いで3千円とか。私は結局、仙台ヨドバシ隣のカメラのキタムラ中古買取センターで奇跡的にPEN D3に出会ったので、実物を確認して7千円で購入しました。(PENシリーズ何かないかなーと見に行ったら、あまりマークしていなかったD3だけあって、調べたら楽しそうだったのでこれにした、という感じ)

急いで撮るならスマホでいい。ゆっくりいこう。

PENシリーズやオートハーフは、露出やシャッタースピードなどがオートになっていて、写るんですのように何も設定せずにシャッターを切るだけという大衆向けのモデルが多く、元々みていたKodakのカメラともその点は似ているのですが、簡単なのもいいけど、フィルムカメラにそこ求めてないんだよなという気がしてきて。マニュアルで設定するのが楽しそう、カメラの勉強になりそう、と思い始めました。

今まではコンデジやミラーレスでよくわからないままに設定をいじったり、露出補正だけでなんとかごまかしながら撮ってきて、シャッタースピードとか絞りとかISOとかいまいちわかっていなかった。マニュアルのカメラで自分で動かしてみてやっとわかるかな、と思ったのです。(この予想は大正解だった)

そこで、露出計で表示されるEV値を元に、適切な露出になるシャッタースピードと絞りの組み合わせはレンズのリングに書いてある、という、絶妙に手引きをしてくれるカメラの出番。こちらが私が今回購入したOLYMPUS PEN d3です。

Dシリーズは最高級のペンを目指した「プロ仕様のペン」。その最終形態のD3です。32mm, f1.7と、とても明るいレンズがついています。1965年発売って、父親とほぼ同い年やないか。

露出計で露出を測って、それに合わせて自分でシャッタースピードと絞りを設定しないといけない(さらには目測でピントも)という手間はかかるものの、1枚一枚、明るさや被写体との距離、ぶれやすさなどを考えながら撮るというのはやっぱり面白い。ハーフだから、ちょっと心配だったら少し設定を変えてもう一枚撮っちゃえばいいし。

そんなこんなで、”新しい”フィルムカメラで撮ったファーストロール。

近所の郵便局までの散歩も、カメラを持っていくと楽しい。

曇りの日はどうかな、コーンの赤はどう写るかな、ピントはこれで合ってるんかな、、1本目の実験も、現像に出すまで答えがわからないので、どきどきです。

(下3分の1に入っている赤い線は、おそらくスキャン時のノイズ)

買い物帰りの夕方、仙台駅周辺。

こちらも郵便局散歩。とってもよく晴れたお昼時。レンジファインダーだけど、案外覗いた通りに写っているかも?

雲はありますが、とっても明るい中で露出系計は15に近いEV値を指していたので、割と正確に動いているのかな。(元々使われていた水銀電池は現在手に入らないので、LR44というボタン電池を入れています。電圧違うけど大丈夫そう)

ファインダーを覗くと、縦型の窓になっているんです。普通に構えると縦の写真が撮れるって、カメラでは新鮮ですよね。スマホではいつもやっているけど。

今回はFUJIFILMのSUPERIA PREMIUM400(27枚撮り)で撮影。思ったよりも色が濃く、ポストの赤がビビッド!

ファーストロールを終えて

実は、本当の1本目のフィルムはちゃんと装填できていなくて、何にも撮れていないものを現像にだしてしまって無駄にしたし、この実質1本目も、ちゃんと撮れているのか本当に心配だったんだけど、思ったよりも目測のピントも合っていたし、露出もほとんど問題なかったし、全然よかった。

一番のお気に入りは、夫と息子を撮ったポートレートとか、家の中でおむつ換えてるところとかの生活の記録なんだけど、顔が写っているのでここには載せられないのが残念。自分で言うのもなんだけど、本当に良い写真なんです。幸せな思い出がそのまま写っていると言う感じ。現像されて戻ってきたデータを見た時、すっごくうれしかった。

今日載せたデータはお店でスキャンしてもらったもので、プリントお願いしたらどうなるのかとか、家でスキャンしたらどうなるのかとか、フィルム変えたらとか、実験したいことはまだまだたくさん。

2本目は引き続きマニュアル操作を体に染み込ませつつ、後から見返してうれしい普段の生活を積極的に撮るようにしてみている。お散歩で良いと思ったところを切り取るのもやっぱり楽しいから、それも続けるけどね。何せ、72枚も撮れるので!早く撮り終わって現像に出したいですよ。

せっかく撮った写真、インスタはお店のことがメインで載せにくいし、興味ある層もフォロワーとずれていると思うので、こういうパーソナルな話はまたブログに自由に書いていこうかなと思って、2年ぶりの更新でした。またどうぞお付き合いください。

あの記事のその後

あの記事のその後

あの記事のその後シリーズをやりたい。フィンランド語学習については、もう3弾くらい書いてきたけど、基本ブログには「●●やります!」「●●はじめました!」というやる気マックスの時に意気揚々と書くパターンが多いので、その後やらなくなったこともあるし、それでも続いていることもあるし、環境や考えが変わって更新されたこともある。

  • テレビもインターネットもない新生活
    • 未だに持ってない。やっぱりいらない!iPad最強。
  • フィンランド語学習
    • フィンランド旅行に合わせて再々再チャレンジ中。
  • 紙収集癖のある人にはほぼ日カズンavecがおすすめ
    • 会社でGoogleカレンダー導入されたので、weeksMEGAにしてみた。軌道に乗ってきた。
  • pebble
    • 会社が無くなっちゃったし、スマホと接続できなくなったので使ってない。「ものを大事にできない世の中なんて」の記事で書いていたSKAGENの時計を直して使ってる。
  • kindle
    • やっぱり紙派、むしろ図書館・メルカリ派。もしくはiPad版kindle。
  • お菓子焼く系女子になる
    • お菓子はあんまり焼いてないけどホーロー容器は便利。あとホーローの小さい鍋が超便利。引越し前までは、スムージーとぬか漬けが一時習慣になってた。今は弁当にチャレンジ。
  • 自分大学を始めてみる
    • このテーマだけでなく、気になることは色々勉強できてると思う。まとめたい。
  • 和裁・刺し子
    • 1年以上通ってる。でも宿題やっていかないし、毎回途中参加だし、出張あると出れないのでなかなか進まない。のんびりでも続けられればいい。寝間着縫ってるところ。運針、刺し子は上達した気がする。多分また夏に向けてやる気が再燃する。
  • 編みもの、編み上がったセーター
    • 今も冬は手編みのセーターだけで着まわしてる。投稿後、水通ししたり洗濯してみて感触など変わったものも。

だいたいこんな感じ。形は変われど、今の生活に合う形で続けていることが案外多い。気が向いた時に一つずつ記事にしていこうかな。

インタビューの呪い

インタビューの呪い

大学2年生ころからか「いつか幼稚園を作りたい」と言っていた。実際に幼稚園を経営している方と出会う機会もあって、アドバイスをもらったこともあった。その方には40超えてから初めてもいいんじゃない、というようなことを言われ、まあ確かに。とわたしのなかでは「いつか」「自分も子育てを経験してから」「おばさんになったら」という次元の夢になっていった。

それでも、「幼稚園を作りたい」に取って代わるキャッチーな夢が都合よく現れるわけでもなく、そして幼稚園の夢が消えたわけでもないので、事あるごとに幼稚園の話はしていた。

昨年、会社の社員紹介のようなWebページに記事を書いてもらった。はじめてちゃんとインタビューを受けて、自分の言葉が記事になった。社内の記事なので、公開前に自分で内容をチェックさせてもらって、意図した内容からズレる部分は修正させてもらった。タイトルは、幼稚園をつくりたいというところを切り取ったものになった。

ここまで校正もさせてもらって、自分もokを出した記事だけど、最近どうもその記事が、自分の発した言葉が古くなってしまったことが気になって仕方ない。今のわたしは、幼稚園よりも今取り組むべきことを見つけて日々進化しているというのに、昔一度口にして取り上げられた一文が、まったくその夢に向けてアクションを起こしていない自分への叱責に感じることさえある。後ろめたいんだ。もちろんインタビューを受けた時点での自分の考え、自分の言葉であることに間違いはないけれど、その記事のわたしだけが、ネット上でわたしの意見を述べている。現実のわたしは、まがいなりにも日々いろんなことを考え、アップデートされているというのに。

昔はこんなこと言ってたやつが、今こんなこと言ってるよ、矛盾してるんじゃない?という批判、Twitterなんかでよく見かけるが、人は変わる。気持ちも意見も変わる。記録が残るということは、その変わってしまったビフォーアフターを文字にして一語一句比べられるから、変わってしまったことが明らかになりやすい。そのことに少し息苦しさも感じる。そんなこと気にしてたら何も書けなくなる。しゃべれなくなる。

今回のわたしの古くなった言葉は、会社のメディアに載っている。今更修正したり、取り下げたりできない。まあ身内の管理するページなので、お願いしたら消してもらえるかもしれない。もしかしたら今のわたしのインタビューをまた取ってくれるかもしれない。けど、もしこれが自社のページではなかったら?なかなかそうはいかないだろう。他の膨大な情報に埋もれつつも、一生インターネット上に残る。

こんなこと、インタビュー受ける時点で想定しておきなさいよ、という感じだが、何せ初めてのことなので許してほしい。日々インタビューを受けて、いろんなメディアに自分の言葉(を聞き手が受け取って編集したもの)が残っている経営者や有名人というのは、大変なんだな。(もっとも、こういう方々は日々のインタビューにも慣れて、答えも固まってきているし、インタビューを受けることによって少しずつ内容もブラッシュアップされていくようだけれど。それにしても、いつかは古くなる)。

じゃあどうするか、ということで、それはもう常に「最新版」の自分の頭の中を、言葉にして、文字にして、世に発信するしかないんだと思う。わたしは自分のことを知ってもらいたい!という願望が強いくせに、日常的に話すことが苦手なので、文字にするのが良いのかもしれない。そして、そこまでの覚悟をせずとも、ちょっとでも言葉にしたいことは気軽にできるように、自分の管理する場所、どうしようもなく恥ずかしくなったら、考えが変わってしまったら、最悪記事を取り下げることのできるような場所に書くほうが良いだろう。(本当は、いつも仕事で子どもたちに教えているように、一度ネットの海に発信されたことは、消せなくなることも覚悟の上で書かなきゃいけないんだけど)

2017年、小さな営業チームのリーダーになり、所信表明はじめ、チームに自分の考えや大切にしていること、やっていきたいことなど伝える機会も増えた。けれどそういうおおげさな機会でなくても、普段考えたことなど、もっと人と共有していくべきなんだろうな、と実感した一年でもあった。2018年、考えを文字にして、公にすること、ちょっと頑張りたい。常に最新のわたしがそこにいるように。